Railway & Music

     鉄道を楽しく撮影 & 音楽を楽しむ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

明治の遺産

 連休を利用して愛知県犬山市にある「博物館明治村」へ行ってきました。
明治村は過去に一度行ってますがほとんど記憶に残ってません。それもそのはず
34年も前のことですから。


DSC01510.jpg

 流石に帝国ホテルは以前行った時にも印象があったので覚えてました。この建物が
日比谷に建っていたのも覚えてるので私も古い人間となりました。

 さて、今回明治村訪問で一番期待してたのは御料車です。明治天皇と昭憲皇太后
の専用車両です。どうも34年前の訪問の時から展示されていたようですが、その時は
新婚だったのであまり車両には興味なかったようで、御料車のことは全く記憶にあり
ません。

  DSC01402.jpg

 大宮の鉄道博物館にも御料車が展示されており、そちらはかなり綺麗に復元されて
ますが、こちらは年相応に古色蒼然とした雰囲気がでてます。それでも外装はチーク
材の一枚板は特に割れもなく状態は良いようです。
 この先、定期的な手入れを行って永久保存して頂きたい貴重な車両です。


DSC01408.jpg

DSC01437.jpg

DSC01439.jpg

 蒸気機関車というと最近は復活蒸気が盛んとなって、JR各社競って古い車両を復元
させてますが、明治村のそれは、まさに復活蒸気の魁というものでしょう。
 ここで走る機関車は明治7年から明治44年まで東海道を走っていたというのですから
そんじょそこらの復活蒸気とわけが違って年季が入ってます。

DSC01494.jpg

 訪問したのが平日ということもあり客数は少なく本当にゆっくり見学できました。
転車台は手動で二人で動かしますが、その情景を見て、なんでも自動の世の中によくぞ
これほどのアナログなものが残っているものと嬉しくなってしまいました。

DSC01506.jpg







 
スポンサーサイト
  1. 2016/01/12(火) 15:56:44|
  2. 鉄道史
  3. | コメント:0

東京駅開業100年目の汚点

 大正3年に東京駅が開場して12月20日で100年とのこと。誠におめでたい限りです。
19日にはその記念すべき日の前倒しでイベント列車が走りました。
 東京始発の東海道本線からは寝台特急が廃止されてしまっており、今回はJR東日本
管内を走る形だけの記念列車です。24系のサボを見るとご丁寧に行き先が「伊東」と
いう当時ではありえない表記がされており笑えますが、あまり細かいことは言わないで
素直にPトップ牽引の特急富士を楽しませていただきました。

702_3115.jpg

702_3110.jpg

 昨今よく言われる撮り鉄のマナーですが、少なくとも品川駅では皆さん大人でした。
大騒ぎになるこのようなイベント列車を走らせること自体が「騒ぎの元」を作ることです。
JRはよほど緻密な計画を立てなければ撮り鉄どうしのトラブルは永遠に無くならない
でしょう。

 さて、昨日ニュースで世間を騒がせた100周年Suica。 JRのずさんな企画が浮き彫りと
なってしまいました。購入には全国から東京駅を目指し殺到したようです。購入できなかった
方々はお気の毒。購入できた方についてもお気の毒。どちらも100周年記念とはならず、
心の中に100年目の汚点として残ることと思います。
 何度もこのブログに書いてますが、国鉄分割民営化後、JR東日本は死に物狂いで
会社を立て直してきており、ここ10年の実績を見ると目覚しいものがあります。土地や
建物の運営、やりくりなども見てもさすがと思うほどうまく活用されてます。ダメなものは
廃止、良いものは残す。大改革が次々と成功してると思います。
 ただ、いつもこのようなイベントはことごとく失敗してます。必ずと言って良いほどトラブル
がありマスコミに叩かれてます。シュミレーションを練り重ねてはいるのでしょうが考えが
甘いとしか思いません。
 次は無いので同じような企画をやるのであれば、手馴れた会社に委託してはいかが
なものでしょう。失礼ながら武士の商法としか思えません。

0004939_2_20141221145113127.jpg

0004938_3.jpg




  1. 2014/12/21(日) 15:15:05|
  2. 鉄道史
  3. | コメント:0

時の流れ

 昨日は定期健診のため休暇を取りました。検診は午前中早めに終わったのでしばらくご無沙汰していた
寒川神社へお参りに行ってきました。寒川神社は相模の国の一宮、八方除けで有名な神社であり相模の国の
神社ですが厄除けで有名なこともあり全国から参拝客が訪れます。
 一昨年の発病は前厄だったのでしょうか、今年は後厄、これで厄も打ち止めにしたいものです。昇殿して
じっくりと拝んでいただきました。

 しばらく撮り鉄もしてないので長距離の電車に乗るだけで楽しみです。行きはうまい具合に新宿から
小田急のMSEに乗れました。帰路は茅ヶ崎よりグリーン車でゆったりと旅気分を味わいました。東海道を
上ってくると気になるのは田町です。田町は上野〜東京ラインの影響で廃止となります。

IMG_2002.jpg

 品川を過ぎたので何か止まっているだろうと思いカメラを向けます。ところが私の目に入ってきたのは
草ぼうぼうの線路群。驚いたことに電車が全く止まってなかったのです。

IMG_2003.jpg


 そういえば昨年の11月に品川駅から東京駅まで一日電車を止めて工事をしてたことがありました。
どうやらその工事の正体は田町電車区が絡んでいたようです。田町は再開発されると聴いてましたが
近い将来ではなく、もうすでに工事が始まってました。これはうかつでした。
 時の流れとは早いものです。東京機関区、品川客車区、田町電車区と懐かしい車両区がこれで全て
過去のものとなりました。

 3枚目の画像は2006年1月撮影の田町電車区です。写ってるのは電車区のほんの一部、何十本
という列車群が収容されてました。

DSC_4865.jpg






  1. 2014/02/08(土) 21:03:10|
  2. 鉄道史
  3. | コメント:0

鉄道 遺物

 この1月は色々なことがありあっという間に月末となり、今年も残すところ11ヶ月。撮り鉄どころか音楽もあまりできない新年のひと月でした。

 お世話になってる方よりタブレットや腕木式信号という懐かしい鉄道遺物のお話をメールにて頂戴しましたので本日は手持ち写真数枚をご紹介させて頂きます。

 関東では千葉の久留里線で見られたタブレット交換ですが、つい最近、長い歴史を閉じたようです。タブレットは私が撮り鉄していた昭和40年代前半では色々な所で見られました。日常の光景故、特に記録してなかったのですが、たまたま御殿場線の車内から駅員さんがタブレットを持っているところを一枚写していました。

11127_20130131114836.jpg

 画像は岩波駅、この駅はご存知かと思いますがスイッチバック駅です。電化後はスイッチバックは廃止されたので次の画像は貴重なものとなりました。

11133_20130131114837.jpg


 画像左側の築堤がスイッチバックの行き止まりです。

11128_20130131114837.jpg


 そしてこの画像は先程の駅員さんがタブレット交換を終えて駅舎へ戻る所、私は乗車していた気動車に乗り沼津へ向かいました。
 何れも非常に懐かしい画像です。この中には腕木信号機も写っており時代を感じます。とても嘗ての東海道本線とは思えない長閑な光景でした。

 長閑な光景といえば・・・

28646-2_20130131114837.jpg


 画像は総武本線の南酒々井駅です。ちょっとジオラマのような光景。腕木信号機があり蒸気機関車が走っている様はNゲージそのものです。
  1. 2013/01/31(木) 11:45:13|
  2. 鉄道史
  3. | コメント:0

星 晃 氏の証言

 先日、お世話になっている秋田のHOさんよりお電話を頂き、鉄道界の大御所、星晃氏が93歳でご逝去されたことをお聞きしました。星氏の経歴はここで改めてご紹介するまでもありませんが、10系客車や151系電車など数多くの車両を設計された技術者です。
 
 秋田のHOさんは鉄道友の会を通じて星氏にお会いになる機会を持てそうとお聞きしていただけに、突然お亡くなりになられたことで永遠にその機会を逸してしまい非常に残念がっておりました。

 マイテ病患者(アッキーさん、秋田のHOさん、私)の3人はマイテ3911に関しての謎解きを常日頃念頭に置いておりまして、出来ることなら有識者にお会いして謎を解明し白日のもとに晒したいと願っていました。星氏は戦後のマイテ39の改造にも携わられていたらしいので残念です。

 何か資料はないものかと思い、先日古本サイトを探していたところ、「星さんの鉄道むかしばなし」と云う本があったので早速手に入れました。 その文中でマイテ39改造の件を発見しました。

IMG_1093_20121227160214.jpg

 質問者に答える形で星氏がマイテ改造の事を述べてますが、質問の仕方が今一突っ込みが足らず、我々が知りたいことが記されてないのが残念です。但し、次の2点がこの質疑応答ではっきりしました。

① マイテ391、マイテ392 共に機銃掃射を受けたこと。これにより、戦後の改造でマイテ391は桃山式  の部材をマイテ392に譲り洋風展望室にしたこと。(マイテ392は改造後マイテ3911に番号変更)

② 機銃掃射を受けた=この2両は上野の山には収納されなかったこと

①、②の2点が解明されただけでもこの本を購入した甲斐がありました。

 マイテ3911の露台(展望デッキ)が他の展望車の露台と形が違うのは、空襲で破損したので大井工場に有った部材を使って修理したためと云うのが定説になってます。まあ、こんな細かいことはどうでも良いことですが、
マイテ病患者にとってはどうでもよいことではなく、事細かに明らかにしたいことです。

 この他にも私が博物館オープンの際に岸学芸員よりお聞きしたマイテ3911の空襲の傷跡は現存しているはずなので是非一度見てみたいものと思ってます。

 星氏ご逝去を切っ掛けに、また鉄道史探求の血が騒いできました。当面は寒いので撮り鉄に出かけられません。
楽器演奏の傍ら、書籍購入で真実を一つ一つ解明したくなって来ました。
  1. 2012/12/27(木) 16:00:06|
  2. 鉄道史
  3. | コメント:0
次のページ

プロフィール

KO

Author:KO
ブランクはありますが撮り鉄暦48年 
東京在住のKOです
鉄道の他にアマチュアオーケストラでViolaを弾いてます

現場での挨拶を大切にしましょう。

当たり前ですが、《こんにちは~》 

《よろしくお願いします~》を忘れずに!



挨拶して損は有りません、難しい顔をして撮るより笑顔で楽しく撮りましょう!



現場で見かけたらよろしくお願いします

三脚は出来るだけ使わないようにしましょう!!

列車に向かってストロボを炊くのは止しましょう!


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。