先週末、ボランティア活動として老人ホームでミニコンサートを開きました。
今回は3度目となるボランティア演奏です。過去2度は弦楽四重奏でしたが、
今回はアンサンブルのメンバーも加わり総勢10名での演奏です。
曲目は12月17日の演奏会の曲目より数曲と、クリスマスにちなんだ曲、
讃美歌、そして職員さんが歌う「津軽海峡冬景色」です。やはり人数が増える
と音に厚みが増し迫力があります。最後に演奏したアイネ・クライネ・ナハト
ムジークが終わった瞬間に拍手喝采。利用者の皆さん、職員の皆さんに大変
喜んで頂けました。
今回、我々は正装で演奏しました。タキシードまでは行きませんが、ウィン
グカラーのシャツに蝶ネク。やはりこうして身を固めると演奏にも力が入り
ますね。写真がないのが残念ですが我ながら「孫にも衣装」でした^^
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- 2011/11/29(火) 18:27:16|
- 音楽
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来春のダイヤ改正で特急 日本海が廃止と決定したことが報道されました。
ブルートレインとして一世風靡した車両もそろそろ車両の寿命の限界がきて
いるのでしょうか。
先ほど鉄友よりメールが来て現在特急 日本海 に乗車中とか。それも
A寝台を青森~秋田間だけ乗車。なんとも贅沢なこと・・・。(羨ましい)
私は日本海には乗ったことはありませんが何度か遭遇、撮影しています。
元来東京に住んでいるとあまり縁のない車両です。しかし、この日本海には
思い出があります。

画像は昭和44年3月25日、矢立峠(津軽湯の沢付近)で撮影した
デビューまもない20系の日本海です。この写真、私はつい最近まで撮影
日を昭和43年3月と思い込んでしました。先週の報道で、特急に格上げされ
20系でデビューしたのがヨンサントウと紹介され、「おや?」と思いました。
昭和43年の春休みに友人と二人で奥中山の3重連を撮影しに出かけ、その
足で奥羽本線ヘ周り矢立峠の蒸気を撮影しています。先程の写真はその時
撮影したものと思い込んでいました。ところが当時購入した入場券を貼ってある
アルバムを見ると何と翌年の春に再度矢立峠を訪問していたことが分かりました。

添付写真はそのとき購入した大館駅の入場券です。日本海のデビュー年を
昭和43年10月と報道していた読売新聞に「間違ってるぞ~」と投書
しようと意気込んでいましたが敢無く撃沈です。
42年の歳月は忘却の彼方へ~~。証拠の入場券はしっかりと私の足跡を
残してくれていました。
- 2011/11/27(日) 22:20:07|
- 寝台特急
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東北縦貫線のことについてはしばしば書いてきましたが、久しぶりですので進捗状況を
お伝えします。
一枚目は私の最寄り駅の御徒町駅。あまり進展はないように見えますが、地盤強化工事も
完了し線路の敷設工事が始まっています。従来は留置線だったので走行スピードも歩く位
でしたが、開通すれば60~70キロで通過します。この真下には飲食店・宝石店・などの
店が数多く入居してますが、縦貫線が開通したらおちおち食べていられません。
よくみるとどうやら防音壁も付くようなので景色もかなり変わってくるでしょうね。


秋葉原駅の進捗は次回として、今度は神田駅です。以前も書きましたが、神田駅周辺は
新幹線の上に縦貫線を走らせるので2重構造です。完成すればかなりの高さ。現在でも
訴訟は解決してませんがJRはどんどん工事を進めています。但し、この区間は真下が
新幹線なので工事をする時間は終電から始発までの僅かな時間です。ですから工事も
なかなか進みません。


今頃言っても始まりませんが、こんなことなら東北新幹線を東京まで引っ張った時に
同時に工事をしておけばよかったのにと思います。住民の話では、国鉄時代の約束で
2重構造の線路は敷設しないことになっていたそうです。
地元民の嘆きも虚しく工事はあと2年で完成するようです。開通すれば地獄の
ラッシュ(上野~東京間)も少しは緩和されるのでしょうか。

ついでですが、今日貼った写真はいつものニコン一眼ではなく、iphone4sによる
スナップ写真です。曇っていたのでクリアーでは有りませんが、携帯による写真とは
思えないほどの写りです。
地方では廃線が進んでいますが東京では新線がどんどんできています。東北縦貫の他に
も新線の話題がたくさんあります。昨日入った情報では東急線が京急線に乗り入れるとか。
東急・京急はゲージが違いますが、フリーゲージで対応する計画。東急蒲田から京急蒲田
そして羽田へ。東京はどんどん便利になりますが、一極集中がもっと酷くなります。それ
ほど東京が魅力的な街なのか疑問に思いますが・・・。
- 2011/11/18(金) 16:33:22|
- 新線
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十三でたーサンとお別れし新大阪を目指し漸く帰京。と云うところですが、まだまだ大阪には
名残り惜しく、また、ぞろ夜間撮影などを思いつき吹田まで足を伸ばしてしまいました。

富士・はやぶさ で夜間撮影の腕を磨きましたが、廃止となってから2年経った現在では
すっかり錆び付いてしまいご覧のような画像となってしまいました。EF81は無情にも
ハイビームで目の前を通過。

吹田には大きな操車場が有ったはずですが、どうやらなくなってしまったようです。ここで
30分ほど撮影を楽しみましたが色々な車両が息つく暇もなく通過します。



さて、漸く新大阪へ到着です。腹ごしらえの後は乗車予定の新幹線ホームへ行くはずでしたが
時刻表を見ると、なんと500系のこだまが到着します。予定を変更し23番線へ直行。
500系の到着時間には早く、停車していたのは「ひかりレールスター」でした。
100系が廃止になった現在では「こだま」として走ってますが、内装は豪華です。
そういえば、こだまとなった500系もグリーン車の椅子を使用しているので西の「こだま」
は急ぎの用が無ければ楽に移動ができるのでお得ですね。



さてさて、久しぶりに500系に再会。これで漸く撮り鉄が終了です。二日間で
撮影した枚数は330枚、実に長い二日間でした。長い間お付き合いいただきまして
有難うございました。
- 2011/11/16(水) 17:03:18|
- 撮鉄
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前回の十三の記事で複線が3本ある路線の呼び方について知識がないためにあやふやな
ことを書いてしまいましたが、たーサンよりご指摘いただき「3複線」と呼ぶことがわかり
ました。そしてたーサンより下記のコメントまでいただきました。
三複線の事ですが、梅田同時発車は毎10分ごとに展開されます。
神戸線特急、宝塚線急行、京都線特急が同時発車です。
大抵の場合、神戸線がどうしてもトップ、ついで宝塚線、最後に京都線ですが
ほとんど同時といってもいいでしょう。
京都行特急は出だしは遅いのですが、中津付近で俄然スピードを上げ、宝塚
急行を追い抜きます。
京都線の方がカーブがきついのですが、線路規格は上だそうで、グンとスピード
を上げて宝塚急行を追い抜きます。
しかし、橋梁の位置が他の二線に比較して高いので、急こう配で下っていくため
かなり手前から制動をかけ、この間に宝塚急行が追い抜く、、という具合です。 10分ごとにこの光景が繰り返されるとは凄い。私が京都線の運転士で、恋敵が
神戸線の運転士だったら間違いなく闘争心が湧きノッチを思いっきり引いて十三を
目指すことでしょう^^

画像は前回掲示の再出ですが少々トリミングしています。よく見てみたらなんと
3線同時に梅田を目指してました。後追いにもいろいろあると思いますが、この
ような光景は十三でしか見られないかも。
- 2011/11/13(日) 21:58:15|
- 撮鉄
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さて、摂津富田での楽しいひと時を終えて再び大阪へ向かいます。目指すは阪急梅田駅。
昨年たーサンと呑み鉄した喫茶室です。ここでは居ながらにして呑み鉄ができる素晴らしい
場所。今回もここで一回目の乾杯です。

再会を祝した後には場所を変えて飲み直すことにしました。梅田では昼間っから飲める
居酒屋をご存じないとのことで十三まで行きました。何のことはありません。今朝十三を
立ってぐるっと回って再び十三へ到着。たーサンおなじみの居酒屋は昼間っから満席。
さすが関東にまで名が轟く十三です。
お店のお姉さんから相席でもいいですか?との問いの指先を見ると中年の女性がお二人
着席されていました。たーサンと顔を見合わせお互いに合意。
強引に相席させていただいたことをお詫びし二人で話していましたが、私達が鉄ちゃんと
いうことが分かると何故か不思議に話があってしまいました。NHKの連続テレビ小説「てっぱん」
で阪堺電車がドラマで度々写っており、件の女性もそれを見ていたとのこと。そういうわけで
阪堺電車で盛り上がってしまいまったのです。
本来であればたーサンと「つばめ」の話をする筈でしたが、思わぬ「乱入」で「つばめ」は
何処ぞへ飛んでいってしまいました。撮り鉄にはハプニングはつきものですが、呑み鉄にも
ハプニングはありますね。(こういうハプニングは大歓迎ですが (*^_^*)(=^▽^=) )
そうこうするうちに時間も迫り「昔のお姉さん」ともお別れです。私も当日のうちに
帰宅する都合があったのでたーサンとは十三駅でお別れとなりました。
今回は出張ということもあり、あまり時間が取れなかったことに加え、とんだ珍客と
話し込んでしまいゆっくり呑み鉄は出来ませんでした。次回はプライベートで訪問し、
たーサン、関西の鉄友とゆっくりお会い出来ればと思っています。東京~大阪間はたったの
2時間36分。いつでも行けますものね。
そうそう、阪急十三駅での写真を貼り忘れるところでした。梅田から十三までは複々線に
もう一つ複線を足したトリプル線?(何て呼ぶのか不明)です。梅田を同時刻に発車する
こともあるようですが、途中に中津駅に停車する電車があり十三へ3本同時に到着すること
は無いようですが関東では見慣れない光景は壮観です。


- 2011/11/11(金) 17:05:20|
- 呑み鉄
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塚口で聖地を堪能し今度は次の目的地へ向かいます。しかし、そこへ行くには通らなくては
ならない場所があり気が重かったのです。関西の方にとっては、いや全国的にですが、非常に
忌まわしい鉄道事故が発生した場所を通らざるを得ません。車窓から現場を見ましたが、建物
には事故の傷跡が見られます。心のなかで手を合わせ犠牲者のご冥福をお祈りしました。

塚口駅より高槻行きの普通電車に乗り摂津富田を目指しました。何故摂津富田へ? ここは
嘗てたーサンが足繁く通わられた撮影地です。たーサンはここで素晴らしいお写真を数多く
残されています。詳細については「たーサンの世界」をご覧頂ければと思います。
たーサンが撮影されてから50年以上の歳月が流れ、周辺の風景は激変していました。
しかし、一直線に走る線路はほぼ変わっていません。嘗ては一日に上り、下りの つばめ・
はと さくら と数える程の昼間特急しか走ってませんでしたが、現代では10分も待てば
特急がやってきます。


電車特急は100KM以上のスピードで軽快に通り抜けます。この地でたーサンは100km
近い猛スピードで駆け抜けるC62の雄姿を見事に捉えています。私は塚口で15両編成の
幻を見ました。摂津富田では遥か彼方より迫り来る一筋の煙。それがみるみるうちに私の
目の前を通り過ぎカメラを構えようとすると金縛りに会う。 塚口駅とは対照的な幻を
見たような気がしました。これぞ白昼夢でしょうか。

こんな具合で今回の大阪訪問は図らずも「つばめ」の聖地訪問ツアーとなってしまいました。
- 2011/11/09(水) 16:42:57|
- 撮り鉄
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早朝7:00に東京を立ち、大阪で十二分の撮り鉄を敢行し宿泊地の十三に到着しました。
十三と云えば関東まで名が轟く歓楽街です。私が宿泊したホテルも周辺はネオンがチカチカ。
周辺が気になりますしたが、当夜はおとなしくホテルで静養。
ホテル内にカイロプラクティックの診療所があったので治療してもらいました。骨盤が
少し歪んでいるとのこと、また首筋が酷くこっているそうです。30分程の施術でしたが日頃の
腰痛が驚くほどよくなりました。また姿勢も良くなりました。普通は保険は効かないのですが
ここでは保険で治療して頂き3割負担で1,500円。ルームサービスでマッサージを呼べば
軽く5000円はかかり、おまけに下手なマッサージだと余計ひどくなることもあります。
大阪へ来てご馳走でも。と思いましたが、やはり大阪といえばタコ焼き、お好み焼きでしょ
う。当夜はお好み焼き&ビールで大満足でした。
一夜明け、早速撮り鉄に出かけました。昼過ぎにたーサンとお会いする予定があるので
少々急ぎ足です。まず訪問したのは、特急 つばめ はと が方向転換のために毎日通った
塚口駅です。阪急十三から阪急塚口まで行き、そこからJR塚口は徒歩です。(結構遠い)
とうとう「聖地」へやってきました。 普通の方にとっては全く変哲のない駅にしか
過ぎませんが、私にとっては重要な場所です。

阪急塚口駅より歩くこと15分、念願のJR塚口駅にたどりつきました。ホームに降り
たてば何のことはない2面島式ホーム、下りは一本、上りは2本の列車が停車出来る
ホームです。転載はできませんが、つばめ が方向転換した時の写真を見ますと当時と
同じホームの形状となっていました。
つばめ・はと は大阪方面より来ると下りホームに停車、機関車は客車を切り離し
進行し、今度は上りホームを経由し機回し、その後下りホームに停車しているマイテと
連結。これにて方向転換が完了し宮原を目指したのです。
塚口駅での滞在はほんの30分ほどでしたが「聖地」の空気を吸って清々しい気分に。
また、目の前に青大将の15両編成がゆくりと動く姿が目に浮かびました。はるばる
来た甲斐が有るというものです。東京のデルタ線の終端、蛇窪、大阪のデルタ線の終端
塚口、これで両方の終端を確認し大満足でした。
- 2011/11/08(火) 17:18:02|
- 鉄道史
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南海の浜寺駅だけが古いのか、それとも他の駅もこのように古いのか?
それはともかく浜寺駅に魅了されました。改札口こそ自動となっていますが、
その他は昭和の面影を残しています。関東の私鉄でこのような立派な駅は
よほど片田舎へいかないとお目にかかれません。



さて、今回の大阪訪問の最大目標であった阪堺電電軌を堪能したので
本日の宿を目指します。大阪の路線図を見ると非常に複雑です。これは
大阪の方が東京へお越しになった時も同じように感じるのでしょうか。
東京の山手線はぐるぐる回るだけで乗り違いはおきませんが、大阪の
環状線はよく見ないととんでもない場所へ運ばれそうです。
目指すは十三。さてどうやって行くか?難波へ出て梅田まで地下鉄、
梅田から阪急。これが無難な方法でしょうか。とりあえずは難波まで
の乗車券を購入し普通電車に乗りました。途中駅で例の鉄人28号の
通過待ちがあったのですかさずカメラを構えます。

本当は特急券500円を購入し乗りたいところですが、わずか10分では
乗った気がしないので今回は見送りです。再び普通電車に乗り難波を
目指しましたが、途中、新今宮で環状線乗り換えのアナウンスがあり
ました。はたと気がついたのは、朝方、手荷物を大阪駅構内のコイン
ロッカーに預けたので引き取りに行かねばなりません。このまま
難波へ行けば地下鉄利用のためJRの構内は通らないので入場券
購入の必要があります。
アナウンスがあった瞬間電車から降り、環状線に乗り換えました。
結果的には良かったようです。昨年大阪訪問の際に梅田の地下街で
危うく迷子になるところ。アェーはさっぱりわかりません。
飛び降りたのはいいのですが、新今宮という駅が環状線のどの
当たりに位置しているか分かりません。[まあいいか]と軽い気持ちで
大阪を目指しました。
昨年訪問した際には工事中だった大阪駅の工事がすっかり完成して
いました。手荷物をコインロッカーから出し、阪急梅田へ行く前に
2枚ほどパチリ。


これはなかなかのビューポイントですね。嘗てたーサンが特急
つばめ はと を撮影した時に比べると大阪駅は大きく変貌して
しまいました。
それにしても大阪は人が多い、路線も複雑。これに慣れるには
しばらく滞在しないといけませんね。
- 2011/11/05(土) 15:34:03|
- 撮り鉄
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大阪についてはもう7回も書いてますが、実はまだ一日目の午後2時頃の話です。
何しろ東京を7:00mに出発しても新大阪到着は9:36。大阪到着後4時間半がいま
です。先を急ぎましょう。
さて、阪堺線のTAKETAKE切符のもとを十分とりお釣りがくるほど乗りましたが
とうとう終点の浜寺まで来てしまいました。ここは堺市ですが、大阪もここまで
くると漸く喧騒からは離れたという感じがします。


さてここから都心に帰るのに、阪堺線ですとかなりの時間を要します。そこで考えたのが
南海です。関西の私鉄で乗ったことのないのは南海だけです。何回乗った?なんて聞かないで
下さいね。一回だけですので^^

ご覧のように阪堺線の駅より南海の駅は至近です。しかも両方の駅はレトロそのものです。


聞くところによると南海のこの駅は近々取り壊すとのこと。駅員さんは一人しか居なかった
のでそれほど乗降客は多くないのでしょうか。それなら特に支障もなさそうなのでこのまま
保存しておいて欲しいですね。ホームへ行こうと思った瞬間:: 目が点になる車両が通過
しました。

レトロな駅とはミスマッチの鉄人28号、初めて見ましたがやっぱり変です。
- 2011/11/03(木) 22:16:51|
- 撮り鉄
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阪堺電軌の路線図を辿っていくと「大小路」と云う電停があり、そこから少々離れた
ところに堺市役所があります。堺市役所は高層ビルとなっており最上階は展望室と
なっていることを聞いていました。


以前より大阪を訪問したときに一度は行ってみたいと思っていた場所があります。
古の大王のお墓「仁徳天皇陵」です。教科書、歴史本、テレビでは見てますが、
その壮大さは見ないと分からない。
大小路電停から堺市役所へは徒歩15~20分ほどあります。20F程の建物
なので遠くから見ても近くにあるように見えますが結構遠かった~~
なぜ堺市役所の庁舎へ行ったか? 仁徳天皇陵は巨大なので平地で見ても何が
なんだかわからないと聞いてました。それなら少しでも高いところへ行けば形が
分かるだろう・・・・。という甘い認識で行ってみたところ・・・・・・。

地上80mから見た大王のお墓?・・・・。いや~ これは~? 古墳という
より鬱蒼と木が茂っている森にしか見えません。大王の墳墓は予想を遙かに超えた
巨大なものでした。1800年もの昔、これほどの巨大な構築物を作らせる
強大な権力者がいたことに驚きます。
画像はWikipediaの写真ですが、ヘリコプターをチャーターしないと
とても古墳の形を識別できるものではありませんでした。

ここで天皇陵について私見を・・・
古墳については宮内庁が管理していると聞いており、その殆どは未調査だそうです。
理由は定かではありませんが日本の歴史を紐解く足枷になっていることは確かです。
恐らくその殆どは盗掘されていると思いますが、本格的な発掘調査を行えば何かしら
の新たな事実、発見があることは確かです。
お隣の韓国、中国、遠くエジプトに至ってはその古い歴史は日本に比べ遙かに克明に
明らかにされています。なぜ宮内庁が発掘調査をしないのか疑問に思うのは私だけで
しょうか。閉鎖的な体質は改善して頂きたいと切に望みます。
本日は鉄ネタから外れたことを深くお詫び申し上げます。強いて言い訳をしますと
天皇陵の脇を南海電鉄高野線が走っているので少しは鉄に関係がありました^^
- 2011/11/02(水) 17:35:16|
- 歴史
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