青森、函館といえば私の年代でしたら青函トンネルというより青函連絡船が浮かぶと思います。
昭和40年代では既にジェット機が発達しており、北海道行といえば飛行機が主流になりつつ
ありました。しかし、当時はまだ鉄道のほうが運賃がはるかに安かったので学生の身での渡道は
青函連絡船利用でした。
青森から4時間余りでようやく函館港に着くころは長旅で疲れ、足取り重く函館駅への長い通路
をとぼとぼ歩いたものでした。
その函館港に摩周丸が記念艦として係留されています。最後に渡道したのが昭和50年の8月
ですから36年ぶりの連絡船との再会です。当時はとてつもない大型船に見えましたが36年の
月日を経てかなり小さくなったような錯覚にとらわれました。

記念艦として残されてますが、中は当時と大きく違ってます。グリーン船室、2等船室、食堂
などがありましたが、今ではほんの一部が公開されているのみです。当時の面影を残しているのは
グリーン座席、2等座席、そして雑魚寝の出来た2等船室のレプリカのみです。できれば貨物車が
入っていたところや、食堂も公開して欲しかった。



当日は生憎のお天気で入場者も数名ほどでした。しかし、この程度の保存、展示では大勢の
鉄道ファンを呼ぶ込むには程遠いと思います。煙突に貼ってあったJNRのマークを見て
少々涙腺が緩みました。あ~30年前に戻りもう一度摩周丸に乗ってみたい~
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- 2011/09/28(水) 20:24:39|
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